甲州紀行

山梨の地理

山梨県は日本の中央にあり、国中と郡内の二つの地域に分けられます。二つの地域はいずれも高い山に囲まれており、標高差は3000メートルを超え、多様な風土が山梨には存在しています。

国中は中央の甲府盆地を囲むように扇状地が広がっています。盆地では、「かつて湖だった」との伝承があるほど洪水が多発していましたが、武田信玄公の治水により肥沃な土地に姿を変えました。扇状地では水はけのよさを生かした果樹栽培が盛んです。扇状地の上には山地と高原が広がっています。大菩薩嶺、北岳、八ヶ岳といった名だたる峰々が国中を囲み、清里、小淵沢といった避暑地として有名な地域が点在しています。

郡内は富士山麓の高原と、高原から続く谷からなる地域です。高い山と深い谷によって周囲の地域からは隔絶しており、独自の文化が育まれました。富士五湖や忍野八海がある風光明媚な地域としても知られており、その知名度は近年世界的なものになっています。


フルーツ王国・山梨

山梨県では多様な風土を生かして、地域ごとに様々な農業がおこなわれています。甲府盆地では、かつては稲作と養蚕のための桑畑などの商品作物がおもな作物でしたが、稲作は水中に生息する寄生虫によって農家が苦しめられていたことにより、また桑畑も織物業の衰退により果樹園へと姿を変え、現在では盆地の低地も、その多くが果樹園となっています。

盆地周縁の扇状地は水はけがよすぎたため、水田には不適で、古代から桑畑と畑作が盛んに行われ、現代では水はけの良さと非常に相性のよい果樹栽培へと転じ、日本有数の産地となっています。行基上人が広めたと伝わる葡萄は、古代から扇状地、特に勝沼で栽培されており、葡萄を用いた酒造も山梨の産業の一つです。


ぶどう産地・かつぬま

勝沼は、甲府盆地の東縁、複数の扇状地の上に広がっているまちです。全国的に著名な勝沼の葡萄は大善寺の開基とされる行基上人によって伝えられたともいわれ、古くから桑畑とともに勝沼地域で栽培されてきました。明治期以降は殖産興業の一環として葡萄栽培が盛んになり、養蚕の衰退後は、桑畑も葡萄の他、桃などの果樹園に転換し、今では町域全体に果樹園が広がっています。

また、全国的な知名度を誇る勝沼のワインも、明治期の殖産興業の一環として醸造が試みられたものです。様々な困難や失敗を経て、全国生産量の四分の一ほどのワインを勝沼から生産するまでに至っています。しかし、現状に満足することなく、若い世代から、農業の現代化に着手する動き、伝統的手法とは異なる手法、品種を用いたワイン醸造の試みもあります。勝沼は、未来においてもフルーツのまち、ワインのまちとなれるよう、まちづくりに努めています。

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